空気の研究

このタイトルで、筆者の山本七平の名前が出てくる人はミドル、シニア世代で

しょうか。

山本七平氏は、かつてイザヤベンダサン名で「日本人とユダヤ人」を執筆し、

日本人論で一世を風靡した人です。

 

この「空気」とは、集団が意思決定をするときやある方向性を示すときに、論

理性ではない何かの力を示します。

あのときは、ああするしかない空気だったんだ。なぜか、そういう空気になっ

て決まったんだ。ということは、日常でもあることです。

しかしこれは、日本人ならではの話であって、空気の支配力で重要な問題が決

定したり、全体の流れを決めてしまうということは外国では、キリスト教社会

では、あり得ないということです。

 

山本氏はこう書きます。

「空気とは、まことに大きな絶対権を持った妖怪である。一種の超能力かも知れない。」

それを戦艦大和の出撃を例に出して、明確なデータや論拠が、出撃の無謀さを

示していながら、空気の支配力に流されてしまった、と述べています。

戦争という極限状況だからこそ、いえ、でさえこの論理(?)思考です。

 

今マスコミでは、様々なニュースが流れています。

しかし、コメンテーターがいる情報番組では、どうもフィルターが通されて恣

意的な報道の仕方になっていることを感じます。

もちろん、報道する側の政治的な意向もあるでしょうが。

そこに、異論を挟み込む余地を与えてくれないような雰囲気、空気を感じます。

もし、あえて問題提起的な発言をしようものなら、SNSで大炎上ということに

なり、だれも思っていてもあえて口にしないようになります。

私たちの思いや考えがマスコミに操作されているようにも感じます。

 

私たちの身近にもあると思います。今は、死語になったのでしょうかKYという

言葉。「空気が読めない」という意味であることは、ご承知でしょう。一つの

流れに水を差すような言動があったときに、感覚的な批判のボキャボラリーで

もとの流れや空気に戻そうとする、言霊的な力を持ちます。

 

偉そうにいう私だって、人とのやりとりの中で面倒くささを覚えることはしば

しばです。

でも、そういった面倒くささの積み重ねで、よりよい、より適切な答えが得ら

れるものと思います。いえ、それしか方法はないのだと思います。

 

「空気」の研究 (文春文庫 (306‐3))

「空気」の研究 (文春文庫 (306‐3))