手巾と手紙

芥川龍之介サマセットモーム、両方とも短編の名手として人口に膾炙してい

ます。今回は、主題の違う2つの作品ではありますが、共通する何かがあると

思い俎上に載せました。

 

まず芥川龍之介の手巾。大学教授の主人公の元にかつての教え子の学生の母親

が訪ね、闘病の末、亡くなったとのこと。息子の死を語っているにもかかわら

ず柔和な微笑みをたたえている婦人を主人公はいぶかしんだ。

その時、先生の目には、偶然、婦人の膝が見えた。膝の上には、手巾を持った手が、のっている。(中略)先生は、婦人の手が、はげしく、ふるえているのに気がついた。ふるえながら、それが感情の激動を強いて抑えようとするせいか、膝の上の手巾を、両手で裂かないばかりにかたく、握っているのに気がついた。(中略)婦人は、顔でこそ笑っていたが、実はさっきから、全身で泣いていたのである。

 

次に、モームの手紙。

主人公の妻が主人公の友人と不倫関係にあり、その果てに妻がその友人を射殺

したことを告白する。

「彼が倒れたので、体の上に覆い被さるような形で、発砲し続けました。ピストルがカチッと鳴り、もう弾のないのに気づきました。」(中略)顔はもはや人間のものではなかった。残忍さと憤怒と苦痛とで歪んでいた。物静かな、淑やかな婦人が鬼のような情念を抱きうるなんて誰も思わなかっただろう。(中略)婦人の顔は徐々に正常に戻りつつあった。(中略)口元には愛想のいい微笑みがこぼれんばかりだった。育ちのいい、高貴でさえある婦人に戻ったのだった。「ドロシー、今行くわ。お手間とらせて申し訳ないわね。」<行方昭夫 訳>

 

女ごころのすごさというか、恐ろしさを描いていてどきどきします。私など、

すぐに顔に出てしまいごまかしがきかない方なので、こういう芝居がかったこ

とはできません。男は概してそうかもしれませんね。男女ということで一般化

しては、いけないのかもしれませんが。しかし、それぞれの作品のテーマの一

つ(あくまで一つです)が、女性の情念の強い表れ方を描写したことは確かな

ことでしょう。そういったことから、この2つの作品は実に演劇的であって、

まるで女優がそこで演技をしているような錯覚にとらわれます。いずれにせ

よ、印象的な作品です。

 

 

 

手紙 (角川文庫クラシックス)

手紙 (角川文庫クラシックス)