秋深しこれから俳句の季節かな

友達に勧められ、最近俳句を作り始めています。五七五のリズムの中に季語を

入れ情景を詠むのは、おもしろいけれど難しいものです。季語と言っても、よ

く調べないと自分が思っているのが違う季節ということもありやっかいです。

たとえば、ブランコを句の中に入れようとしたら、それが季語で春を表す事に

気づき断念したものです。テレビでもプレバトなどで俳句の添削を見ている

と、先述したようにおもしろいけれどやはり難しいなあと思ってしまいます。

俳句の良さというのは、無駄な言葉を削ぎ落とし、精選させ、本質のみを浮か

び上がらせることだと思います。逆に伝えようとする本質がぶれていると、的

確な句ができません。思えば、今の時代、言葉が蔓延しています。一つの言葉

を大切にしないまま発するところから様々なトラブルに見舞われるのです。あ

ることを言おうとして、ニュアンスが違うことに気づき、言い訳や解説のよう

な言葉をつけてだらだらとした話になってしまうことが、日常の中でも結構あ

るのではないでしょうか。私なんかしょっちゅうです。そうならないための練

習としても俳句は有効のように感じます。友達の話では、詩人や作家で自殺し

た人はいるが、俳人ではいないそうです。本当かなと思いましたが、言葉を突

き詰め、十七文字に季節感を埋め込む作業は、なんらかの心理的効果があるの

でしょう。私などは作り始めてまだ2週間。日常生活の断片日記みたいで、作

品となり得ませんが、恥ずかしながら公開しましょう。

・子を送り箱なる車秋の夜

・大量の洗濯踊れる野分あと

・夕焼けや見事に炙った鰯雲

・神社奥暗がり映ゆる紅葉かな

実は、今日、友達に会いこれらを含めた俳句を見てもらうことになっていま

す。そこで、何を言われるか楽しみでもあり、不安でもありです。