手を合わせるということ
私の家には仏壇はありません。そのかわり亡くなった母の小さな遺影と亡く
なった父親の表札を一所において、毎日それを見て拝んでいます。拝む内容
は、日によって違うのですが、多くは一日よろしくお願いします、というもの
です。時に苦しいときがあるときは、それこそ神頼みのように、助けてくださ
いとか救ってください、というときもあります。これは、特に宗教というわけ
ではなく、毎日の習慣、いわばルーティーンです。
私は、8月のお盆の時期に先祖の墓参りに行ってきました。いろいろ思うとこ
ろあり気分転換も兼ねて(なんていうと、罰が当たりそうですが)行ってきま
した。墓の周りをきれいにし、花を生け、線香に火をつけ手を合わせ、目をつ
むっていると特別な感慨がありました。この墓に入っているご先祖さまに見つ
められているような気がしました。それは少しもホラー感覚なものではなく、
むしろ安心感でした。近くには、誰もいなかったので、小声で苦しい胸の内な
どを吐露したりしました。それで何がどうのではありませんが、またその後す
べてが好転したわけではありませんが、安心感を与えてくれたのは確かです。
日本人は、こうして手を合わせることによって自分自身を見つめ直すことがで
きる文化を持っているのだなあと思いました。家の近くに氷川神社があるので
すが、昭和を感じさせるとても魅力的な場所なんです。普段は、だれも来ない
この神社に時々散歩に来ます。ここに来ることが目的ではないにしろ、社に向
かって一礼し手を合わせますものね。
遺影の前、墓の前、神社の前で手を合わせていると、頭の中で自分の声ではあ
りますが、「だいじょうぶだ、だいじょうぶだよ。」という声が聞こえてくる
ような気がします。そう思い込ませているのかもしれませんけど。
手と手を合わせてしあわせ、ではないけれど謙虚な気持ち、感謝の気持ち、畏
敬の念などがわきおこり、それが幸せな気持ちにしてくれるような気がしま
す。この伝統文化は、子等にもぜひ引き継いでいかなければならないものだな
あと感じています。