敬老の日

老人は何歳からかの定義はありませんが、高齢者といえばこれもくくりで違い

ますが、60歳あるいは65歳からということになりましょう。そうすると私

などは、もう少しで仲間入りの年代です。敬老の日というとこれまではずっと

「する」側の人間で、いつかは「される」側になるなどとは少しも思いません

でした。理屈から考えると、そんなことはあり得ないのですが。ただ、老い

いうものは自分のフィジカル、メンタル面の自覚以前に、周りの見る目による

いわば強制的自覚が促されるような気がします。年なんだから、年取ったねえ

とか口で言われる場合と、目は口ほどにものを言いの場合があります。自分

は、必要な時意外は鏡は見ないのですが、(その必要な時はひげを剃るとき)

昔とそんなに変わってないような気がします。まだまだ若いじゃないかと。

しかし、妻が自分のことを娘と話す会話を聞いていると「老いは首回りから」

とか「しみ、しわが」とか「ほおのたるみが」とかの言葉が出てきます。それ

らを自分に当てはめてみると、完全にフィットします。そうか自分は、見よう

としていなかっただけなんだ、ということがわかります。そういう点では女は

現実を見据えることができるのですね。今日一日は、日本全国で子どもや孫か

ら対象となる人に言葉でも添えてプレゼントの一つでも進呈されるのでしょ

う。でも、なんて言って?おじいちゃんお疲れ様?おばあちゃんおめでとう?

どちらも違うような気がしますが、あまり気にすることはありませんね。敬老

という言葉、その行為が大切なのですから。日本は昔と違い、年功序列の精神

がすたれてきています。核家族化が進み、おじいさん、おばあさんと同居する

ケースも減ってきました。だから、普段の生活の中で、敬う経験を知らずに子

どもたちは大きくなって、社会人になります。その点、儒教の国の韓国は徹底

しています。年寄りを敬うのは当たり前、年上を必ずリスペクトします。この

日本の敬老の日は、この日があることでお年寄りをみんなで大切にする、とい

う気運を高める大切な日なんだという気持ちをみんなで共有したいですね。