ジュリーの公演中止

先週は、芸能面ではこのニュースが大きく報道されていました。私の世代では、沢田研二と呼ぶよりジュリーの方が一般的なのでこのように記しています。この件については、すでに詳細が取材されており、公演中止はジュリー本人が客が集まらなかったからと述べています。この決定については、当然、賛否両論あるわけです。賛成派というかジュリーに同情派は、そのプロ意識に共感しつつ、事務所やプロモーターを批判します。なぜ、ジュリーの意志を忖度しながら調整できなかったのか、と。対して、反対派は、たとえ少ない客数であっても、お客さんあっての芸能人なんだから、プロとして公演を行うべきであった、と。私は、どちらかというと後者寄りです。でも、いいたいことは、ジュリー批判ではないのです。もしかすると、逆かも。

今の時代、プロであろうとなかろうと、~のためには、少しぐらいがまんして行動しよう、という意識が大半ではないでしょうか。よく言えば、優しさの時代にいるといえましょう。いろいろな大小の美談、エピソードには事欠きません。そういう風潮に慣れた私たちにとっては、今回のことは、目を疑うようなニュースだったわけです。その理由がジュリーなりのプロ意識というわけで誰もが驚いたのです。昔であれば、アーティストは、自分の美学や信念を貫き、あるときはファンを振り回すような言動をすることもありました。しかし、今、そうするアーティストはほとんどいません。良い意味で、みんなサービス精神にあふれています。

今回の件では、アーティスト側と運営側の齟齬によって起こったものですが、ジュリーが自分の信念と美学を貫いたという点では感心します。普通、そこまでできません。しかし、ジュリーというスターでありビッグネームだからできたという言い方もできましょう。先述したように、お客さんの立場からすると私は、賛成しかねるものですが、この平成の時代に、やってくれたな、という思いもしています。