やって後悔するのとやらないで後悔するのでは…

よく言いますよね。やって後悔するのがいいか、やらないで後悔するのがいいか。

先輩が後輩を鼓舞するときに使う台詞ですね。そう言われれば、ほとんどの人は、決

まったように前者を選ぶでしょう。先輩も、うんうんと頷くでしょう。しかしこれが、

自問自答する場合はどうでしょうか。先ほどの場合、先輩はよかれと思って言ってくれ

たのでしょうが、自問自答の場合は、自らの欲求を秤にかける場合があります。この台

詞の危険なところは、そこにあるような気がします。たとえば、やる行為が違法であっ

たり非倫理的であったりした場合、その場の衝動で「後悔」という秤にかけられたらど

うでしょう。それこそ、その場の雰囲気で流されてしまうことがあるような気がしま

す。先日の、ハロウィーンの渋谷駅前の混乱からそんな事を思いました。何やら、

ニュースでは海の向こうのフランスではもっとすごいことになっていたようですが。

 

さて、例えば踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃ損損、とか見る前に跳べと

か、躊躇する気持ちを駆り立てる言葉がたくさんあります。それらを否定するつもりは

全然ありません。実際世の中の多くのことは、躊躇してやらなかったことより勇気を出

してやってみた方が、新しい世界が開けることが多いことも私たちは経験で知っていま

す。では、逆は真ではないのでしょうか。「後悔」というとちょっと強めなので残念な

気持ちとしてみましょう。そういった経験も私たちは持っています。特に、恋愛に関す

る甘酸っぱい思い出なんかはそうではないでしょうか。恥ずかしながら、私も若いとき

にはありました。なんであの時…。という強い思いは今でも残っています。でも、それ

はそれで人生の選択としてはありなのだな、と思っています。つまり、やらないで後悔

することもいいものだよ、と若い子を煙に巻くのも大人の所作なのではないかと思った

りします。特に、今の時代一気飲みのかけ声のようにいけいけゴーゴーのご時世、跳ぶ

前に見ろ、落ち着けと若い者には言いたいです。たとえ、私がそういったところで、み

んなが消極的になるわけではないでしょうに。