慣れることは、怖いこと
娘が自動車運転免許の路上教習をするのが慣れてないので怖いと言っていました。確か
に自分の時を振り返っても、そうでした。よくわかります。それは、運転免許を取り立
ての時もそうでした。そんなある日、タクシーに乗ったときに、運転手さんとこんな会
話になりました。「免許を取ったばかりで、いつ事故に遭うのじゃないかとひやひやし
ながら運転しているんです。」「びくびくしながら運転している間は大丈夫だよ。慣れ
てきて、自分はもう大丈夫だと思うようになってくると危ないものだよ。」なるほどな
あと思いました。たしかに、慣れてないうちは、怖いので、より注意深く運転します。
しかし、慣れてくると要領もわかるので、いい意味でスムーズに悪い意味で雑な運転に
なってきてしまいます。徒然草の高名の木登りの段にも同じようなエピソードが書かれ
ていましたね。木登りの名人が、弟子が高木の剪定作業の指導をしているときに、高い
ところでは声をかけなかったけれど、低いところで注意するように声をかけたという。
なぜかと問うたら、人間危険なところでは、自分でもわかっているから気をつける、で
も安全そうだと思うところで怪我をするものだ、と答えたと言います。ですから、事故
は意外なところで起こると言うことです。そう考えて、自分を振り返れば、まさしくそ
うです。私のいろいろな失敗は、物事を甘く考えた故の結果であることが多いことがわ
かります。娘に、先述のタクシーの運転手さんとの会話を伝えると、へえというわかっ
たようなわからないような返事です。それはそうです。彼女にとっては、第一段階の慣
れていない状態が今なのですから。第二段階の慣れた状態は、この先にあるので、実感
できないのでしょう。自分は、もう人生の折り返し地点をターンした年齢なので、慣れ
ていることは多いです。しかし、慣れることは、怖いことを改めて教訓にしていきたい
と思います。