相手の痛みを分かつこと

なかなかできそうでできないことです。

送り手は相手を傷つけるつもりはないのに、受け手が大きなダメージを受けるというこ

とがままあります。そして、それを指摘されるまで、送り手は気づかないということ

が。そこで、送り手は2種類の反応を示します。一つは反省する。一つは、軽く受

け流す。後者は、反省しません。例えば、いじめやセクハラの場合は、後者の場合が多

いような気がします。自分が悪いことをした、言ったという自覚があれば反省もするで

しょうが、自覚がないものですから、本人の戸惑いが現れてしまいます。その場合によ

く使われるのが「その程度のことで」「マジになるなよ」といったものです。

最近、韓国のアイドルグループSTBの原爆キノコ雲のプリントTシャツが物議を醸しま

した。当事者の彼らは、事の大きさに遺憾の意を表明したそうですが、多くのファンは

あまり反感を持たなかったようです。ファンの一人、うちの娘も、問題になること自体

を怒っていましたから。これについては、どこまでイデオロギーが介入しているかはわ

かりませんが、本人たちが、強い意思表示を狙ったものとは考えにくいようです。

いずれにしても、送り手側と受け手側の意思の疎通がうまくなされないところに、不幸

が訪れます。私は、表題について上から目線でいうつもりはありません。かくいう私

は、昭和の男ですから、昔はさぞセクハラまがいなことを言って顰蹙を買っていたのに

違いないのですから。やんわり笑って受け止めてくれる女性に、受けた、といい気に

なって追い打ちをかけるようなことをいっていたんだろうなあ、と思うと恥ずかしい限

りです。

子どもの頃から、相手の立場になって考えなさい、と言われてみんなしつけられてきま

した。しかし最近思うのですが、相手の立場や感情を知ることは、無理なんじゃない

か、なぜならみんなひとりひとりの生育歴での価値観がスタンダードだと思って行動し

ているのですから。ただ、いろいろなハラスメントの啓発が行われている現代では、

「もしかすると~」と思うのは可能ではないか。自分が持っている価値観は間違いない

とは思うけれど、万が一と言うことがある、という感覚で動くことが今の時代の、人と

しての生き方なのだと思います。もう小学校に入ったら、必要な自覚かもしれません

ね。それしか相手の痛みを分かつ術はないのではないでしょうか。