羊と鋼の森:原民喜の言葉
この作品には、印象的な台詞がたくさんあって見る者、読む者を楽しませてく
れます。とりわけ、主人公が師と慕う名調律師の板鳥がいう原民喜の言葉が、
鮮明です。
明るく静かに澄んで懐かしい文体、少しは甘えているようでありながら、きびしく深いものを湛えている文体、夢のように美しいが現実のようにたしかな文体
これは板鳥が主人公外村に「めざす音」を問われたときの答えです。多分、作
者の宮下奈都さんが座右の銘にしている言葉なのでしょう。このままの文章
で、小説が終わるまで3回も出てくるのですから。確かに、文学論だけでなく
すべてのことに共有する何かを湛えている内容だと思います。原民喜は、この
中で3種類の文体について言及しています。それぞれの内容は、前半と後半で
成り立っています。一見、相容れないような内容ながら、その二つがあること
で言わんとすることが深く染みいります。物事の事象すべてにいえることかも
しれません。また、人格もその中に含まれるかもしれません。私は、この言葉
をこの作品で初めて知りましたが、文字通り、初めてなのになぜか懐かしい気
がします。
この作品自体、ピアノ調律の話で終わっているわけではありません。みなそれ
ぞれ何かを抱えながら、生きている。端から見ると、それに気づかないけれ
ど。でも結局、その抱えているものは、自分の中で折り合いをつけ、答えを出
していくしかない。この作品のテーマは、そこにあると勝手に思っています。
そして、映画で表現された世界は、まさしくこの原民喜の言葉を具現化したも
のであると感じました。